前回の包丁研ぎのブログで、お客様から、「包丁を研ぐのに、そんなに時間がかかるんやったら、寿司職人として一人前になるのには、一体何年かかるの」と聞かれたけど、一体何年かかるの?
わしもこの世界にはいって47年経つけど、まだ一人前とはおもっていない。
ほんまに~
先日、「さすが俺!いい腕してる。」って自画自賛してたやん。
そんな裏の話はせんでええねん。
まぁ寿司職人として一通りこなせるようになるのには、10年ぐらいかかるかな。
10年ほどたてば、一人前というかいっちょまえぐらいかな。
いっちょまえ?一人前とは違うの?
10年していっちょまえか。長い道のりやね。
誰かが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」といったように、今はそんなに修行せんでもいい風潮になってるし、一人前の定義も違うからな。
昔の定義では、間単にいうと、まず出前持ち1年それと並行して皿洗い1年そして、魚の下処理や包丁研ぎあと一息を覚えるのに3年。
その間にシャリ炊き、シャリ切りやにぎりの練習、その他色々なことを覚えるのに5年。
なるほど、大体5年で基礎を覚えるねんね。
出前持ちや皿洗いなどを始めに覚えるのには、すべて意味があると聞いたけど、どういう意味があるの。
そやな、例えば出前は、お客様のところに行って寿司を渡すだけでなく、お金のやり取りも必要、間違わないように計算を覚える。
そして、次も頼んでいただけるようにお客様と色々な会話をする。
お客様からの信頼を獲得するため、寿司を早く確実に届ける以外に、自分にできることは何かを必死に考える。
それがカウンターに立った時に、お客様と信頼関係を築く、コミュニケ―ション術になるんや。
なるほど、出前に行ってお客様と会話するのは、中々ハードルが高いような気がするけど。
それも修行のうちやねんね。
今なんて、ピザを頼んでも、「ありがとう」と言って、お金を払って受け取るだけやし。
持ってきてくれた子と世間話はせーへんね。
だから今は昔と違うって言ってるやろ。
昔は、寿司の代金以外に、自分を気に入ってもらえたら、チップをくれたりしたから、必死で出前持ちしてたな。
大将は外面良いから結構チップ貰えたんちゃう?
それに昔はお客様が若い職人を育てるという習慣やったよね。
何か寂しいね。
じゃ、次に皿洗いは?
皿洗いは、昔はお客様から戻ってきた器についている出汁の味を確かめたとか言われていたけど、実際の皿洗いの役割は、整理整頓や。
大量にある食器をいかに早くきれいに片づけられるかを考えて皿洗いをする。
要領よくしないと、一日皿洗いで終わってしまい、他の修行が一切できなくなる。
いかに皿洗いを早く確実に済ませ他の仕事をさせてもらうかで、修行の年数も変わってくる。
そうやって出前持ち、皿洗い、包丁研ぎ、魚の下処理、あとシャリ炊きとシャリ切りができるようになったら、「脇板」としてカウンターに立ち「花板(料理長)」の補助をし、お客様の前で寿司を握れるようになる。
カウンター術を覚え、一品の作り方や、海苔を焼いたり、しいたけ、かんぴょう、玉子焼きを焼いたりその店の味を覚える。
それで、10年ぐらいで一人前になる。
なるほど、結構長いね。
和食は脇板に行くまでに「椀方」「煮方」があり、その下に「焼方」「揚場」があるので、20年~25年ぐらいたたな認めてもらわれへん世界や。
寿司と和食はそんなに違うの。
ただ、何年も修行をして一人前と呼ばれるようになってもそこからが大変や。
寿司を握るだけやったら、3か月もあればいっちょまえにしたるけど、10年やって寿司しか握られへんかったら、誰も相手にしてくれへん。
基本のあたり(味つけ)が分かっていなかったら応用もきけへん。
原価計算などの数字が分かっていなかったら、経営者や上の者と話もできへん。
歳は関係ない世界やから腕一つで上にどんどん上がれるし、その反対もある。
そうやって聞いたら、厳しい世界やね。
そうや、みんなに負けんとこうと思ったら自分自身を磨くしかないな。
やっぱり自分磨きか。そうやね。
じゃ私も自分を磨きに行ってきます。
行ってきますって・・・またか・・・
ばれた・・・
包丁研ぎの時に、磨きすぎたら余計切れなくなって、
使い物にならへんっていったやろ!!
じゃほどほどに磨いてきます(笑)
写真は、昔甥っ子達の「握り寿司体験」の様子です。初めて自分でハモを握ってこの笑顔!!
握り寿司体験講座やっています。