前回の続き

女将

前回は、切れる包丁と切れない包丁とでは、味の違いが15%あるという話やったけど、今回は

その切れる包丁を研ぐために「あともう一息」というのがあるということやけど、どういうこと?

 

大将

昔は、まずボウズ(新入社員)で入ってきたら、親方から古い包丁を渡されて研ぎ方を教えてもらう。

包丁研ぎの練習をするんや。

最初のうちは全然できないが指に穴をあけながら、半年、一年経つうちになんとなく研げるようになってくる。(あくまでも職人の包丁研ぎなので、家庭用の包丁を研ぐのとは違うため、一人前になるためには時間がかかることをご了承願いたい。)

半年・一年経ち、自分で、よし完璧に研げた!と親方に見てもらうと「あともう一息や」と言われる。

しかし、その「もう一息」がわからない。あと何回なのか何分研ぐのか自分ではわからない。

そして、親方も教えてくれない。

もうちょっとかなと研いでみると、今度は研ぎすぎて刃が返ってしまい、逆にきれなくなる。

「どうですか?」「もう一息や」 「これでどうですか?」「もう一息や」を繰り返し、ある日突然

自分で、「あと、もう一息や」とわかるようになる。

そして、親方に見てもらうと「よっしゃ!これでうまい造りがひける」となるのである。

そして、一段階づつ「もう一息」を知りながら上に昇っていく。

 

女将

今は何でもマニュアル化で、包丁研ぎも前何回、後ろ何回と書かれているもんね。

昔は、その人にしかわからない微妙な感覚を味わせてあげてたんやね。

 

大将

そうやな。実際、この「もう一息」というのは本人にしかわからん感覚やねん。

「あと3回研いでみ」といっても、本人の力加減や研ぐ角度によって2回ですむ場合もあるし、5回かかるかもしれへん。

「もう一息」は言葉では伝えられない、その人だけに与えられた感覚やと思う。

 

女将

ある程度まで教えられても最後は、自分の感覚に頼ることが大きいし、一度その「これや」という感覚を覚えたら忘れないと思う。

 

大将

そやな。今は、職人さんでも自分で包丁を研がずに包丁研ぎ屋にお願いする人もいるし、驚いたことに機械で研いでる人もいる。

 

女将

機械で・・・それって料理職人といえるの?

 

大将

まぁ包丁研ぎを覚えるのに、時間をかけてられへんのかなぁ~

自分の商売道具を自分で手入れするのは当たり前なんやけどな。

 

女将

今まで切れる包丁で調理をするのが当たり前やったのに、それがなくなってきたので、前回話した切れる包丁で食材を切ったら味が15%アップするということが、テレビで取り上げられるのかもしれないね。

 

大将

先日、お客様と話をしていた時に、堺の包丁屋さんで包丁を買った際、「自分で包丁を研がずに絶対に持ってきて下さい。」と言われた。とおっしゃっていたのを思い出したけど、その包丁屋さんの気持ちがよくわかる。

 

女将

なんで?

 

大将

だって、せっかく包丁を作っても研ぎ方が悪くて、本来の包丁の力が発揮できへんかったら、包丁がかわいそうや。

 

女将

そうか。食材も切れる包丁で切ってあげないと本来の味が出ないのと同じで、包丁自体ちゃんと研げていないときれいに切るという、本来の機能が果たせないということか。

道具が良くてもそれを研いだり切ったりする人の力量が問われるわけやね。

 

大将

包丁研ぎもそうやけど、技を磨くということは、関わるものすべてのものを最大限に活かしてあげるということに繋がるんやろうな。

 

女将

なんかいいこと言うね。

じゃ私も自分の美貌を最大限に活かすため、自分磨きに行ってこよっと。

 

大将

自分磨きって・・・エステか?

 

女将

女将:・・・・行ってきます(笑)